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「災害への備え」 |
ルームキットスタッフ T |
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あの大震災から数日たったころ、私は親戚や知人の安否確認を一通り終え、ボランティアとして救援物資の整理・配達に関わるようになりました。
当時、全国から無料の郵パックで集まった善意の救援物質は、多種多様の品物が一つの段ボールに入っていることが多く、そのままでは避難所に持って行くことができなかったのです。衣類は衣類、食料は食料と分類し、避難所に配達するそのボランティアセンターでは、常時100人以上のスタッフが活動していたことを思い出します。
今から思うと、はじめの3日ほどさえ生活することができれば、全国から水も食料も、娯楽品まで届くほど、震災後の日本にはボランティア精神が根付いています。当時ダイエーの本拠地があった神戸では、それこそヘリコプターで霜降り肉が届きました。
だからこそ、はじめの2〜3日の対応の大切さがクローズアップされます。地震の衝撃に耐え、併せて発生する火事も防ぎ、水も食料も電気もガスもない生活を2〜3日送ること。地震への備えはそこにつきると思います。
余談ですが、当時高層マンションに住んでいた私にとっては、水が入ったバケツをもって、階段を数百段上り下りする必要がありました。これへの備えは・・・ないでしょうね、きっと。 |
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「語り継ぐ事・・・忘れないこと」 |
ルームキットスタッフ K |
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1995年1月17日 当時大学の4回生であった私は、その日は実家に戻っていました。
忘れもしない 5時45分。地の底からズズズーンという得体の知れない衝撃と共にそこから経験した事のない大きな揺れが続き、家の中の家具はほぼ倒れ、玄関も戸が歪み閉じこめられた状態になりました。ご近所の方に外から戸をつぶしてもらい、やっとのおもいで外に出ました。すでにたくさんの方が外で呆然と立っていた光景は、今だに忘れません。
また、とても寒い日だったのでみんなガタガタ震えていました。暫くは電話・TVなど一切使用できなかったため、何が起こったのか分かりませんでした。時間が経つにつれ現状が把握でき、地域での色々な活動が始まりました。
私は、その頃のアルバイト先のスポーツクラブでの活動に参加。まず水が復旧してない地域にペットボトルをデイバックに入れて背負ったり、リヤカーに積み阪神電車の線路に沿って西宮まで1日何回も往復しました。とにかく水不足、どこの銭湯もいっぱいでした。そこでスポーツクラブの温水プールを開放し、地域の皆様に利用してもらいました。みんなとても笑顔でした。生まれて初めて水の大切さ、寒さをしのげる暖かい家の大切さを感じました。
あの頃は余震に震えて、枕元に常に非常用の防災袋がありました。震災から12年がたち、我が家には非常用袋が1つしかありません。今回の件であの頃のことを改めて思い出しています。 いつ起こってもおかしくない天災。備えは有ればあるほど程ベストであることを思いだしました。 |
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| 震災直後に困ることは通信が途切れること。電気もなく外は倒壊や火事などでとても危険な状態になっています。 |
ライフラインが途切れることが想定されるので、災害時から3日間は自力で過ごせるよう各家庭で最低限の常備は必要です。 |
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